今日は少し真面目に。
昨年3月11日は日本にとって、東北にとって、女川町にとって大変なことがありました。時間が経つにつれ、あの時の悲惨な出来事もニュースの中のたった1ページになってしまうんじゃないかと思うことがあります。
山荘に女川町の皆さんが2次非難され、数か月同じ時間を過ごさせていただきました。皆さんとお話をさせていただいたり、女川町の現状を見たり聞いたり。どんどん思いが膨らんで今では何だか第二の故郷のように思うようになってきました。
私たちにできることって何だろう?
たぶん何もできないんです。
でも、何かお手伝いできることはないんだろうか?
******弐号の思い**********************************************************************
あの日が近づいてきた。
今日、壱号を連れて女川町竹浦へでかけました。
震災直後の女川から復興に向けて一歩一歩進んでいる姿がありました。
ほら 漁船がたくさん。養殖ブイも見えます。
そしていつもの笑顔で迎えてくれた竹浦の皆さん。阿部貞さんとは2次非難受け入れの時からお付き合いさせていただき、今では家族同様に思っています。
そんな貞さんの笑顔の後に、にじんだ涙を見た時、私にも熱いものがこみあげてきてしまいました。
心配していた新住居については、高台移転の話も徐々に進んでいるようでホッと一安心です。瓦礫だらけだった竹浦もかなり片付いて、さぁこれからもう一度あの浜を取り戻すんだって意気込みも感じました。
いろいろな思いを感じながら歩いていると、こんな石碑がありました。
昭和8年の出来事
「大地震の後には津波が来る」「地震があったら津波の用心」
大自然の前に人間は抵抗できないのかもしれないけど、その時のための備えはできるんですよね。
そして
今回はこれを見に行ったんです。
新しい命を浜に。
竹浦の皆さん が瓦礫を撤去・整地してくれたこの小さな畑で新しい命を育てようという試みです。
4月には仲間を連れて、またここに戻ってきます。そして。
うまく伝えることができなくて、もやもやとしています。
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・・・と弐号はこんな気持ちだったんだと思います。
何を書いたらいいのか解らないんですけど、いろんなことを考えさせられる一日でした。
※「弐号の思い」は壱号の勝手な想像です。間違ってたらごめんなさい><
ヘイ(σ´∀`)σオキャクサン(´ノ∀`)イッラシャーイ!!
竹浦の皆さん が瓦礫を撤去・整地してくれたこの小さな畑で新しい命を育てようという試みです。
4月には仲間を連れて、またここに戻ってきます。そして。
うまく伝えることができなくて、もやもやとしています。
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・・・と弐号はこんな気持ちだったんだと思います。
何を書いたらいいのか解らないんですけど、いろんなことを考えさせられる一日でした。
※「弐号の思い」は壱号の勝手な想像です。間違ってたらごめんなさい><
ヘイ(σ´∀`)σオキャクサン(´ノ∀`)イッラシャーイ!!